自己紹介

私が副業するというと親は笑った。でも数年後・・・

これは一人の男の本当の話です。

初めまして!
私はサラリーマンをしながら副業でセールスコピーライターをしておりますヤマサッチーと申します。


現在は、某ディスカウントストアのお薬の担当として毎日を忙しく働いており、
すきまの時間に副業としてセールスコピーライティングで生計を立てております。

ここからは私の物語です。

私は山梨の田舎町に生まれ、男の三兄弟の長男として育ちました。

小学校時代から週刊少年ジャンプを読み、ファミコンなどのゲーム、テレビアニメなどに夢中になっている普通の子供でした。

特にドラゴンボールやドラゴンクエストにはまっていました。初めて週刊少年ジャンプに出会ったときは、テレビアニメの原作がマンガだと知らなかったので大変驚いた記憶があります。テレビアニメの続きが知りたくてマンガを読み始めたような気がします。

あいまに公文式という学習塾に通い、中学卒業まで続けていました。小学校の頃の成績は結構良かったです。

思えば、夏休みの読書感想文で原稿用紙3~4枚書いたのが、私が初めて長い文章を書いた経験でした。

ある意味、これが長文の文章作成との出会いであり、はじめの一歩でした。書くのは大変でしたが、苦ではなかったです。

中学から剣道部に入り、当時はやっていた「るろうに剣心」の牙突のマネや飛天御剣流の技などマネしたりして遊んでいました。

英語が苦手で、徐々に勉強についていくのがやっとになってきました。

中学2年の時には、テレビで「新世紀エヴァンゲリオン」が放送され、ちょっとエッチなシーンで食卓が凍り付いたこともありました。父が怒っていたのが印象的です。テレビ放映当時14歳の私はシンジ君の心理や作品の空気感にひどく共感し、新劇場版で話が完結するまでこの作品に対するモヤモヤとしたスッキリしない感じは後を引きました。本当に完結してよかったです。

中学3年になる頃にはアニメの「スレイヤーズ」にはまり、「スレイヤーズすぺしゃる」シリーズのライトノベルの文庫本を買いあさって読んでいました。この頃くらいから本屋に行くのが楽しくなって遠くの本屋まで通うようになっていました。

高校は、県立の普通科高校に通っていたのですが、
「自転車で通えるから」という理由で割と新しくできた歴史の浅い進学校に行きました。
正直、どこの学校に行くか?とかに関しての興味がまるでなかったです。とりあえず通学が簡単そうなところだったので決めました。

高校でも剣道の部活に入り、3年間頑張りました。
私の代は剣道部員が私一人しかおらず、必然的に剣道部部長となって頑張ることになりました。

私の実家は自営業で町のお薬屋さんを営んでいました。

ですので、小さな頃から自然と家業のお薬屋さんを継ぐ将来を決定づけられていました。

そのため、大学受験は薬学部があるところを徹底的に受けまくりました。
ですが、高校から勉強についていけなくなった私は惨敗。
ホテル代と受験料をたくさん支払っただけになり、その後二浪して、予備校代も含め親に大変迷惑をかけてしまいました。

ここで自分自身への情けなさと、大きな挫折を味わいました。

二浪して入ったのは滑り止めの大学でした。熊本の方にある私立大学で、翌年弟の受験も控えていたのでそのまま進学し、下宿に入りながら4年間大学生生活を送りました。

とにかく大学での在学中は無駄に過ごさないように頑張ろうと思い、アルバイトと部活動、
2年からは奨学金をもらい、学業もしっかり取り組みました。

そして、取れそうな資格を取るために、大学の図書館で本を読む時間をたくさん作り、卒業までには漢字検定や危険物取扱者などいくつかの資格と、自動車の運転免許や理科の教員免許を取得しました。

滑り止めの大学として入ったので、家業を継ぐのは弟に譲る感じで諦めていました。
その代わり、自営業の家で育った人間として、独立起業のこころざしは常に持っていました。

大学3年の就職活動も始りはじめた時、ある一冊の本に出会います。

大学の書店でわざわざ取り寄せてもらったその本は、
ロバート・キヨサキ氏の『金持ち父さん、貧乏父さん』です。

この本との出会いが一つのターニングポイントでした。

この本を読んで感銘を受け、その後の人生に影響したことは確かです。

ほんとうの資産と負債の違い、会社員と経営者の違い、お金持ちと貧乏の違い、サラリーマンには見えていないお金の常識を学びました。

何故かは覚えていませんが、この本との出会いでドラッグストアを就職先に選ぶことに決めました。
断念した家業を継ぐことへの道をつなぎ直したのです。

その後の就職活動で、いくつものドラッグストアの企業を受けました。

そして、受け入れてくれた某ドラッグストアに就職を決め、その後、店長になるまで頑張っていくことになりました。

ただ、ドラッグストアに就職してほどなくして、実家の薬屋さんは倒産し、自己破産することになります。私は継ぐ家業を失いました。

「これから何を目標に頑張ればいいんだろう?」
目標を失って途方に暮れたことを覚えています。

ですが、とにかく店長になるまでこの会社で頑張っていこうと決意しなおしました。

ドラッグストアに新卒で入社して3年程度たったころでしょうか。本部の営業企画部に異動が決まりました。

そこでは、今の土台となる販売促進を学びました。

といっても、当時はマーケティングはおろか、コピーライティングなんてものは分かっておらず、ただひたすら毎週毎週、全店用の折込チラシ作りに没頭していました。

〇周年記念のキャラクターを全店のスタッフに募集して作成し、折込チラシで1年間使い続けたり、物流センターに足を運んで、キャンペーン用の販促物を全店に配布したり、印刷会社に行って輪転機といった大きな印刷機械や販促物を作るところを見学させてもらったりと、色々な良い経験をさせてもらいました。

セールスコピーライターの道を目指すきっかけはここにあると思います。

その後、店舗配属へと戻り、副店長として後輩たちを育てながら店長を目指して頑張っていました。

そんなある時、
とある3月の日曜日のお彼岸の日、
衝撃の電話を父親から受けました。

仕事中だったので機嫌悪く電話に出ると…

すぐ下の弟が亡くなったと知らされたのです。

私はその電話を受けながら、
「嘘だろーーーっ!!」と思わず叫びながらその場で号泣しました。

その日は仕事どころではなくなり、店長の許可を得て翌日から実家に帰省しました。

実家までの足取りは重かったです。
一歩一歩実家に近づくごとに悲しみが押し寄せました。

詳しく事情を聴くと、すぐ下の弟は日曜日の午前中に外にランニングに出てそのまま心臓停止で亡くなったそうです。

医師からの診断書では「突然死」と診断されていました。

実は、弟は薬学部の大学に合格が決まって進学する前、日ごろから動悸がすることが気になっていたので医者で検査してもらい、心臓の病気があることが分かっていました。

激しい運動をすることを制限され、治療用の薬を飲み続けることを約束されていました。

それでものちに薬剤師として成長し、新しい薬のことを勉強しながら、自分の病気とも戦っていました。

そんな矢先の出来事でした。

兄弟が亡くなるつらさ、家族が欠けるつらさを強烈にあじわい、
その後の1年間は仕事帰りの夜に思い出しては泣いていました。

それからしばらく経ち…

私は副店長から店長へ昇格し、新店舗の立ち上げ店長として大変な経験を経て、日野市にある売り上げがそこそこの店舗の店長となりました。

そのお店は家からも近く、自転車で通勤したり歩いて通うこともありました。

今までよりも時間ができてきてたので、洋書のビジネス翻訳本を出すことで有名なダイレクト出版の本などを読みながら、本格的にマーケティングの勉強していました。

ここでのダン・ケネディの本から私のコピーライティングの本格的な学習は始まったと思います。
ダン・ケネディは「億万長者メーカー」とも呼ばれているアメリカで有名な超一流のコピーライターです。

そして数年前、その店舗で働いていた時のことです。

いつものように商品を陳列していると、
突然背中の方で、「ポクンッ」という音がしたかと思ったら腰から足にかけて痛みが走りました。

仕事中でしたが、その場で崩れ落ち、
まともに歩くことも座ることもできなくなりました。

「腰椎椎間板ヘルニア」になってしまいました。

痛み止めがなければ寝ることもできず、腰から足にかけてのビリビリくるような神経痛に耐えていました。

そこから、病院や治療院に何度も通って約一年間、まともに運動もできないつらい生活を送りました。

あれは本当に苦しい日々でした。
二度と経験したくないです。

それまでは健康に自信があり、ドラッグストア勤務でしたので健康に関する知識もある程度あり、ぎっくり腰の経験はあったものの、あまり自分の体を心配することはなかったのですが、

いざヘルニアになったとき、いよいよ働くこともできないくらいの状態を経験してこれまでの考えがガラッと変わりました。

ヘルニアになってすぐに、当時の上司に療養で休んだ場合の月の給料を聞いてみたところ、「通常の何割かの給料しかもらえない」と聞かされ、「このままではダメだ!このままでは生活できなくなる!」と強い焦りを感じました。
それと同時に

「体が不自由でもできる仕事を探さなければ!」と強く考えるようになりました。

そんな中で、体がある程度回復したころに出会ったのが、ウェブを使って情報を販売したりするコンテンツ販売の方法でした。

2017年10月、副業への挑戦のスタートです。

ある方の指導の下、自分の経験から商品化できるものを探し、商品の作成と集客の方法としてブログやチャットワーク、YouTube動画を活用して販売していく方法を学びました。

そこから、インターネットマーケティングにはまり、ブログを書きつつも、Twitterやネット上で有益な情報を幅広く集めていました。

この時期は、がちがちのノウハウコレクターになっていたと思います。

ウェブを使った商売を成り立たせるうえで、コピーライティングが重要だということをちらほら聞くようになり、2018年12月末から本格的に学べる東京の情報発信のグループに所属したり、2019年7月からオンライン起業スクールに入ったりして、コピーライティングだけでなく、マーケティングや経営戦略、仕組化などじっくり学び、実力を養ってきました。

学んだコピーライティングを使って、自分のドラッグストアの店舗の推奨販売品に音声販促や映像販促を自前で制作して、販売数を伸ばすように画策したりしていました。

そして、オンライン起業スクールでの学習と、ダイレクト出版でのオンライン学習講座を通して、自分のセールスコピーライティングの技術を磨き、プロとして活動できるまでスキルを身につけレベルアップし、ここまで成長してきました。

自己投資の金額はゆうに200万円を軽く超えています。

学んだ質も量も圧倒的に違うので、その辺のぽっと出のコピーライターとはレベルが違うと自信を持って言えます。

正直なところ、ネット上で情報を集めていくなかで、なんで売れているのか分からないような質の悪いダメダメな商材もありました。

私はあんな適当な商材を売る人間にはなりたくありません。

そして、これからは、身につけたセールスコピーライティングの技術を活かして「本当にいいものだけを届けたい」という信念を心に決め、私の周りの人々に良質なモノだけを提供し続けていこうと考えています。

セールスコピーライターこそ、私が探し求めていた「体が不自由でもできる仕事」です。そして、いいものをしっかり届けられる技能です。

何と言ってもセールスコピーライターのメリットは、

・紙とペン、または、パソコン一台あれば時間や場所に縛られずに働くことができるところ
・実績を積めば、高収入を得られる可能性があるところ
・人の心を動かす文章を書くことで、大きな売上と達成感を得られるところ
・商品やサービスについて深く学ぶことで、幅広い知識を身につけることができるところ
・自分の文章力やマーケティングスキルを磨くことで、自身の成長を実感できるところ

などがあります。

私のように自分の能力を活かして活躍したい人にピッタリな職業なのです。

これまでの経験を通じ、まずは個人の方向けに、商品やサービスを買いたくなるような魅力的な文章を提供しております。

「良い商品を作っているのに売れない」「商品やサービスの良さがいまいち伝わらない」とお悩みのあなたは、

ぜひ、このブログをご活用ください。^^)